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あたたかな光と相思相愛-永遠の旅へいざなう虹粒子の流れ

あたたかな光と相思相愛-永遠の旅へいざなう虹粒子の流れ

永遠性とつながるということ


優れた音楽家は短命なのか?。至上の音楽を奏でる者は常に薄命なのか?。
前回の日記の続きとして少し内容はズレますが、本質的な部分ではつながっている考察と少し綴ってみたいと思います。

子供の頃、外国映画の「ある愛の詩」を観て以来、美しい魂を持った人間だから若くして天に召されるような人生観を持ってしまっていた自分が、そこはかとなくいたように思う。いままで気づかなかったけれど、たぶん、そういうことだったんだと思う。
ジャニス・ジョプリンという天才シンガーが若くして逝ったことも同様に、魂が美しすぎるがゆえの悲劇だと考えていた自分がいた。

しかし、今、そうした考えは、おそらく誤りであったことに、少しずつ確信がいく自分がいる。
誤解を避けるために補足しておきますが、ある愛の詩やジャニス・ジョプリンの存在を否定しているわけではありません。
それらが象徴する何かが、なぜ、短命に尽きるのか、それには確かな理由があるということに、ふと気づいたというだけのこと。

数時間前に、バッハのVn無伴奏パルティータを聴き続けていたことで、ふと、今、こうした想いが内に孵化した。
そういえば、バッハは、同時代の殆どの人々が短命だった昔の時代に、かなり長生きした。これは美術家のミケランジェロも同様。ダ・ヴィンチもそう。

モーツアルトは究極の美しい旋律の数々を残したけれど、非常に短命に尽きた・・・これは麻薬が絡んでいる。ジャニス・ジョプリンも然り。ある愛の詩も、きっと似たような何かがある・・・記憶違いでなければ主人公の女性の病の名は白血病だったような気がする。これは、かなり無理な生き方で自らを酷使しなければなり得ない病気なのではないだろうか。


今夜、バッハのパルティータがなぜに奇跡のような神々しさでもって、永遠性へと人類を導くのか、その理由にひとつ近づけたような想いで感慨深い。実に長い道のりだったが、ようやくここまで気づくことができた。すごく嬉しい・・・何十年も前にギリシャのアクロポリスの丘を歩いた時の感動が蘇るくらい嬉しい。が、こうした感動と学びを明日に活かすことは、また別次元の困難がある。そうした困難に溢れたカオスこそが我々が生きているこの次元なのだろう。こんなにもシンプルで難しい世界に自分が生きているという事実を思うと、眩暈がしそうだけど、まあそれもまた素晴らしい奇跡なのかもしれない。


バッハ 無伴奏
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=vcsCbxM9Ugw



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